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インタビュー1


#1 誰もが“ネット初心者”だった1998年、楽天で「EC」を始めた






NUTSは、時計から傘、食材まで、セレクトした様々な商品を販売するオンラインショップ(以下、EC)です。そんなわたしたちは、日本でインターネットが始まって間もない1998年頃、楽天市場にお店を開店しました。

いまでは「ネット」でモノを買うことは常識のなかにありますが、当時は世間からの信用なんて薄かった。実際に、NUTSもはじめた頃は3ヶ月に1回くらいしか売れず、経営なんて成り立つような状況ではなかったといいます。

いかにして、NUTSはその“仕事”を続けてきたのでしょうか。

このnoteで執筆・編集しているカタヒラは、平然とした表情で営みを続けるNUTSの姿を見て、会社が続いてきた理由と、代表・ヌマオ自身の働く哲学のようなものが気になりました。だから、すこし無理を言ってヌマオへのインタビューを決行することに。

すべての大人、ことに若者がぶつかる「働き方」問題。その“正解”は、きっとどんなビジネス書や自己啓発書を探しても見つかりません。でも、社会を生き抜いてきた先輩から考えを学び取ること、技を盗むことはできます。
この連載では、NUTSが“これまで歩んできた道のり”を紹介しながら、“働くこと”について20代である私(カタヒラ)の視点から考えていきたいと思います。


大企業を辞めて“実績のないEC”をはじめたきっかけ


NUTSは今年でEC(エレクトロニック・コマース)をはじめて23年。20年前といえば、インターネットが日本に上陸して間もない。そんななか、ヌマオさんがECをはじめた“きっかけ”は何だったのでしょう。

「私はこの仕事をはじめる前、SEIKOという、日本の大手時計メーカーで商品企画をやっていました。コンセプトを考えて時計を作って、販売部門に売ってもらう。そんな仕事に長年かかわってきました。

しかし、いざ販売するとなると、こちらの企画意図が販売側に全く伝わっていないことが多かった。それでなかなか売れないということが何度かあって、だんだんとその仕事から気持ちが離れていってしまったんです。

だから、これからは自分の手で物を売るところまでやりたいと思い、1996年、38歳の時にSEIKOを辞めたことが今に至るまでの“きっかけ”ですね。」

大企業のいわゆる“花形”の仕事を離れたヌマオさん。

かくいう私も、自分にとっての“いいタイミング”を見極めたうえで、仕事を変えることには大賛成。しかし、正直なところ今よりも転職のハードルが高かった時代に“脱サラ”してしまうなんて…。見当もつきません。

一方、辞めた直後のヌマオさんは意外にもやることがなかったといいます。

「会社辞めて、ふわふわしてた頃に、付き合いのあったコンセプターの坂井直樹さん*から声をかけていただき、彼の会社で働きはじめました。そこでは、TOYOTAのブランド『WiLL』という企画のプロダクトリーダーを務めるなど、2年くらいしっかり働きましたね。

それから1998年の4月ごろ、坂井さんはデザインに興味があった僕に、アーティストの横尾忠則さんを紹介してくれて、彼とのコラボウォッチを作ることになりました。」

コラボウォッチの話が出たのは横尾さんの個展『デザインの逆襲展』のタイミング。それに合わせて、おめでたいデザインの時計を5モデル作り、新宿高島屋の物販にも並んだそうです。

5モデルのうちの1つは、いまも販売し続けています。

*坂井直樹
コンセプター。1947年、京都生まれ。87年、日産「Be-1」のコンセプトでヒットを記録し、現在まで国内外の製品開発に多数かかわる。


オープンしたての「楽天市場」に出店。でも最初のお客さんは…


「その頃、たまたま楽天(当時:エム・ディー・エム)が開業していたから*、横尾忠則さんの時計を売るために、1998年8月に楽天市場内にショップをオープンさせました。

でも販売できる商品は、横尾さんの5モデルしかないし、楽天自体のショップも300店舗くらいしかなかった。日本はECも始まったばかりで、みんなインターネットに慣れてないから全く注文が入らなかったんです。

それからある時、その年の11月くらいかな。当時、借りていたワンルームマンションのオフィスに社用の固定電話が置いてあって、その固定電話にかかってきた電話を携帯電話に転送できるようにしていたのね。

都内で車を運転してたら、携帯に転送された電話がかかってきて、出たら“NUTSさんですか?楽天のインターネットショップを見てるんですけど、横尾さんの時計を買いたいんです”ってスピーカーの向こう側で言われたんです。

慌てて車を路肩に停めて話を聞いたら、インターネットでも買えるのに、ネット販売に慣れていないから電話で買いたいと言われて。つまり、一番最初に売れたのは電話販売だったというわけです(笑)」

ヌマオさんは“新しいこと”にいつも抵抗がないように感じます。

もちろん時計づくりのノウハウはお持ちのはずですが、独自で著名な美術家と時計を作ったことにはおどろきました。

そして、いちはやく楽天にも出店。その躊躇のない姿勢に、何事も駒を先に進めるには「行動」こそ大事であると改めて気付かされます。

*楽天市場
1997年5月、楽天市場は契約店舗数13店舗でオープンした。当時は三木谷浩史氏含めて社員は6人体制だったという。
参考:『楽天と三木谷浩史』(小学館)

「その頃、たまたま楽天(当時:エム・ディー・エム)が開業していたから*、横尾忠則さんの時計を売るために、1998年8月に楽天市場内にショップをオープンさせました。

でも販売できる商品は、横尾さんの5モデルしかないし、楽天自体のショップも300店舗くらいしかなかった。日本はECも始まったばかりで、みんなインターネットに慣れてないから全く注文が入らなかったんです。

それからある時、その年の11月くらいかな。当時、借りていたワンルームマンションのオフィスに社用の固定電話が置いてあって、その固定電話にかかってきた電話を携帯電話に転送できるようにしていたのね。

都内で車を運転してたら、携帯に転送された電話がかかってきて、出たら“NUTSさんですか?楽天のインターネットショップを見てるんですけど、横尾さんの時計を買いたいんです”ってスピーカーの向こう側で言われたんです。

慌てて車を路肩に停めて話を聞いたら、インターネットでも買えるのに、ネット販売に慣れていないから電話で買いたいと言われて。つまり、一番最初に売れたのは電話販売だったというわけです(笑)」

ヌマオさんは“新しいこと”にいつも抵抗がないように感じます。

もちろん時計づくりのノウハウはお持ちのはずですが、独自で著名な美術家と時計を作ったことにはおどろきました。

そして、いちはやく楽天にも出店。その躊躇のない姿勢に、何事も駒を先に進めるには「行動」こそ大事であると改めて気付かされます。

*楽天市場
1997年5月、楽天市場は契約店舗数13店舗でオープンした。当時は三木谷浩史氏含めて社員は6人体制だったという。
参考:『楽天と三木谷浩史』(小学館)


「ありえない…」三木谷さんが楽天にかけていた情熱


ネットショップの“先駆者”ともいえるヌマオさんは、創業したばかりの楽天を振り返ります。

「当時の楽天には300店舗ほどしかないショップの中で、都内には50店舗ほどしかなかった。その50店舗のうち数店舗が愛宕にあったまだ小さな本社に時々呼ばれて、どうやったら楽天の売上が伸びるか意見交換をしました。

それには僕も何回か参加しましたね。その頃から三木谷さんは“●年後にはこう、●年後には売上はこうなる”と情熱的に言っていたんだけれど、それがもう、ものすごい、ものすっごい目標なのよ。

現実は、3カ月に1回くらいしか売れない状況なのに、ありえないでしょ!って数字を言ってたんです。あの頃は、どこからどう見ても、楽天がここまで成長するとは思いもしなかった。」

「数年前、楽天出店20周年の式典に呼ばれて行ったら、初期にあった300店舗のうち30店舗ほどしか残ってなかったんです。これにはおどろきました。しかも、現在約5万店ものショップがある中の“30”だから非常に少なく感じます。

でも、考えてみれば10年以上続く会社は1%しかないって言いますよね。だから楽天はかなり優秀な方みたいです。」

あらためて楽天の成長は凄まじい。おなじく、売上が3ヶ月に1回だった時代から20年以上“続いてきた”NUTSにも、ずっしりとした経営力のようなものを感じざるを得ません。何か特別な技があったのでしょうか。ここではまだ答えが見つかりません。これからじっくり探っていきたいと思います。

(取材・編集 カタヒラ)

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